今年も平和への思いを新たにする「暑い夏」がやってきました。
横浜建設一般労働組合は毎年、全支部と主婦会、青年部から代表が「原水爆禁止世界大会」に参加しています。
神奈川支部は代表として、内田秀巳10分会長。本部主婦の会からは、沼田加奈子神奈川支部主婦会長が参加しました。
今年は、広島大会。
3日間でしたが、二人は広島でさまざまな体験をし、その思いは「胸に感じる」ところがありました。その熱い想いを綴りました。
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7月28日に開かれた建設プラザでの「結団式」に出席。原水協の代表から「ニューヨークに行き、署名691万筆を国連に届け、世界の政治を動かした。戦後65年の歳月が過ぎ、やっと原水禁世界大会の式典に米英仏の代表が出席する」との話が耳に残りました。
8月4日、原水禁世界大会総会が広島グリーンアリーナで開催され、7400人が集まりました。外国では署名をすることは日本の実印を押すことと同じ意味があるといいます。大会で、「私たち100筆チャレンジャーで行った署名が、核兵器廃絶運動の一つとして世界の政治を動かした」との話に、熱い想いが込み上げました。
「広島で被爆した姉が4日目に亡くなるまで、薬もなく、全身火傷の体から出る体液を拭くことしかできなかった」という思いの話には、胸が痛くなりました。被爆死亡者は269、446人になりました。被爆体験をされた方も高齢になり、次世代に語り継ぐ方も少なくなってきました。
8月5日には「核兵器廃絶とくらし、軍事費削減・格差貧困の克服」の分科会に出席しました。沖縄総面積の18パーセントを占める米軍基地は世界一危険な基地で、犯罪が554件起きています。地位協定と密約の屈辱的実態があり、また、世界には悪魔の核兵器が23、360発あります。日本平和委員会から、今年5月、日米共同文書には「沖縄の負担軽減」という名目で、「本土の沖縄化」という臨時閣議決定文書を全国350自治体に送付した翌日、鳩山首相が辞職したとの報告もありました。
広島平和記念資料館は、被爆者の惨状をあらわした写真や遺品、資料が展示してあり、私は悲しみや怒りが込み上げてきました。
「原爆犠牲建設労働者・職人之碑」には、色とりどりの折り鶴がたくさんありました。
原爆ドームは突っ張り棒とモルタル補修が年月を物語っていました。
広島城内では、原爆に遭ったユーカリやモチの木が大きく育っていました。城内の防空作戦室から少女が広島の被害を無線で発信した部屋は、やはり冷たい感じのする場所でした。
6日、平和祈念式。65年過ぎて初めて国連事務総長として出席されたのは、潘基文(バンギムン)国連事務総長です。広島の悲願である核兵器廃絶と世界平和の実現に向けて、被爆地広島から世界に力強いメッセージを発信されました。今年は、192の国々から出席。核保有国を含む74ヵ国の代表が参列されました。
日本政府は何と、「核の抑止力が必要」と発言。被爆国の首相の発言とは思いたくありませんでした。
子供や孫たちに平和の幸せを伝え、二度と65年前に戻って欲しくないと思いました。
(神奈川支部主婦の会会長 沼田
加奈子)
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私は、初めて広島の原水爆禁止世界大会に参加させて頂き、神奈川支部の皆様にとても感謝しています。
65年前に戦争で、アメリカに落とされたたった一発の原子爆弾が、一瞬にして14万人という人と建造物、この広島の町を破壊しました。廃墟と化し、焼けただれた人間の姿を平和記念資料館で見て、私はこの世の終わりだと感じました。
こんな酷いことをする戦争がとても憎いと思いました。人間が人間を殺し合う事件が、未だに世界の各地で起きています。何の得があるのでしょうか。
この三日間、少し時間が足りなかったですが、いろいろな場所を見学して戦争の惨めさを感じ、アメリカ人の心が自分に信じられない気持ちです。
みんなそんな人ばかりではないと思うけど、最後の三日目に被爆者の人が語ってくれました。「平和」という言葉だけで、この大会を終わらせてもらいたくないです。
これから後に続く人たちに、二度とこの戦争と核兵器を使ってもらいたくない。
現実に世界の人類のなかで、最初に試された原子爆弾。この恐ろしい出来事を子供たちに語り残して、平和な世界が来ることを願っています。
(神奈川支部10分会長 内田
秀巳)